ハロー、ヒーロー

生存と感情のきろく場所。

親愛なるわたしの音楽へ――BIGMAMA「We Don’t Need a Time Machine 2020」

 開演5分前、いつも配信の時はバタバタとしてしまう。この数ヶ月、慣れてきた、とはまだまだ言えそうにない。
 部屋に走り込んで、飲み物を置き、リストバンドとラバーバンドを身につけた。家でもするのかって? 関係ありません。これで、「ライブハウス」に突入する準備は整った。
 入場画面では、針の音が鳴り響いていた。


 いつもの音楽が流れる。暗いステージに彼らが現れる。ただただ期待があった。
 曲が始まると、わけもわからない、熱とも振動ともとれる何かが湧き上がってきて、視界をにじませ、眉を歪ませた。
 音の出ない嗚咽が漏れてしまいそうで、口元からタオルが動かせなかった。


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 BIGMAMAの配信ライブ、「We Don’t Need a Time Machine 2020」を見ました。


 普段のわたし、舞台のおたくをしていることが多いのだけれど、ここに来る前はとある二次元のアイドルコンテンツに人生を変えられていて、そのもっと前は、彼らの音楽に人生観を乗っ取られていた。


 ここ数日、そんなわたしの人生を変えたコンテンツたち、このご時世の中、また彼らの新しいものに触れる機会をもらっていて、そのお祭りの最終日に見た、BIGMAMAの配信ライブについて、思ったことを残しておきたいなと思いました。
 普段と少し毛色が違うけれど、相変わらず日記のようなものなので、ゆるりと読んでいただけたら幸いです。





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 さて、配信ライブが始まり、すぐにしたことがあった。
 自分がずっと泣きそうな状態だとわかって、なんだかこのままではだめだと思い、少し部屋の環境を変えたのだ。


 間接照明だけにしていたのを、全部落とした。
 そのままパソコンから音を聞いていたのを、ヘッドフォンを引っ張り出してきて切り替えた。
 生のライブがヘッドフォンの音質で聴ける。なんという贅沢。


 真っ暗な部屋の画面の前、わけもわからずこみ上げてくる心臓のざわめきをぐっとタオルで押さえながら、手を振ったし、叩いたし、頭を振った。
 誰にどう見られるかとか、この世界で自分にどんな役割が期待されているのかなんて、微塵も関係がない。


 視界は滲むし、眉はぐぐっと真ん中に寄って行くのに、不思議と目から水がこぼれることはなかった。
 数曲目を迎えて気づいた。
 声を上げて泣きたいのに、この画面の前にいるから、そうさせてくれないのだ、と。
 どれだけ気持ちがいっぱいになって涙に変えたくても、曲を好きな気持ちが歯止めする。苦しくても、この曲を聴いている楽しさが均衡してしまって、泣きたいと同時に胸が躍るから、泣かせてくれない。
 なんとも奇妙な状況だ、と変に笑いそうになりながらも、また出会った、と思った。人生を変える瞬間に、彼らと出会った時に感じた気持ちに、また何年もたって、こうして出会えたような気がした。


 今でこそ、舞台の楽しさを知っているし、人を追いかけることもしているけれど、
 ステージの上の人を見上げる胸の高鳴りを、苦しさを、心が飲み込まれるような熱狂を、最初に教えてくれたのはBIGMAMAだった。


 声を出したくて泣きそうだった。
 ライブ会場にいるみたいに叫びたくて。
 鼓膜がビリビリ鳴る感覚が恋しい。
 目の前がモッシュで埋められてしまう光景が見えた気がした。



 ふと、思い出すことがあった。ライブにまつわる記憶だ。


 友人と歌いながら帰った夜の名古屋の街を、雨に降られて泥だらけになった夏フェスを、ビールを片手に暗がりを歩いた公園を、はじめてTシャツを買った時のことを。
 今日のライブを見ながら、その夜の空気や冷たさがよみがえってきた。


 青春は短いからこそいいんだなんて負け惜しみだ、と思った。
 ずっと楽しくいられるなら、その方がいいに決まってる。
 楽しい瞬間がいっぱいあって、もちろんそれなりにしんどいこともあって、また楽しいことがあって。それがいけないなんて、短くなければいけないなんて、――短い方がいいなんて、誰が決めたんだ。


 それでも今を生きていかなければいけないから、生きていたいから、理由をつけて戦っていくんだろう。
 戦う中で、また彼らの音楽を支えにしたり、新しい好きに出会ったりするんだろう。



 BIGMAMAの音楽は、心にまっすぐ刺さって、「生きててよかった」、と思える。


 人生に悩むことは多い。自分らしくいたいし、良い人間になりたいし嫌われたくない。
 わかりたいけれど、わからないことがある。わかってほしいけれど、わからないことがよくわかるから、そうできないこともある。
 誰かに必要とされたいし、役に立ちたい。その全てに対して、真摯でいたくて嘘もつきたくない。
 そのくせ、結果、周りと比べてしまうほかならぬ「自分自身」に振り回されて、思考の渦に陥ったりする。


 だから、舞台やライブが好きだ。
 いつも自分が何者であるか考えて迷ってしまうから、何者でもなくなる瞬間をくれる、あの時間と場所が好きだ。
 彼らの世界を目の前にしている時は、どんな役割も持たない、どのわたしでもない、「自分」でいられる。
 彼らの言葉に耳を傾けている時、彼らの音楽に身をゆだねている時、わたしはどんな時より一番「自分」になれる。



 そんなことを、また改めて思い出したりもした。
 真っ暗な部屋の画面の前、わけもわからずこみ上げてくる心臓のざわめきを、視界の滲みを眉間のしわをそのままに、手を振ったし、叩いたし、頭を振った。
 泣きそうになりながら笑って、ただただ、わたしは一人ではなくて「ライブハウス」にいた。


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 とりとめもない、感情の記録です。

 わたしはBIGMAMAに始まり、アイドルに出会い、今の趣味たちに出会って、ずっとずっと人生を楽しく生きる術を知ったし、何かを「好き」と思う気持ちがどれだけ健やかで幸せで豊かなものなのかを学んだし、ただシンプルに言うならば健康になった。たくさんのごはんをおいしいと食べられるようになった幸せ、絶対に忘れない。


 そして今日は、彼らの音楽にもう一度、出会ってかみしめた。
 いつまでも、わたしの愛する最高のバンドです。
 ありがとう。大好きです。



 最後に、わたしが最初に聴いた彼らの曲を貼っておきます。


www.youtube.com